経産省スタートアップM&Aガイダンスの読み方|買い手に求められるM&A組織とは
WellBear M&Aアドバイザリーチーム
クロスボーダーM&A専門のFA(フィナンシャル・アドバイザー)チーム

- 経済産業省は2026年5月、「スタートアップM&Aガイダンス」を公表した。売り手であるスタートアップと、買い手である大企業等の双方に向けて、留意すべき事項を体系的にまとめた文書である。
- 買い手へのガイダンスとして最初に挙げられたのが、Corporate Development部署の設置である。あわせて意思決定プロセス、予算策定、インセンティブ設計が並記されている。
- 本記事では、ガイダンスが買い手企業に何を求めたのかを整理し、実務としてどこから着手できるかを検討する。
ガイダンスの概要
スタートアップM&Aガイダンスとは、スタートアップの成長手段としてのM&Aを加速・活性化するために、売り手であるスタートアップ経営者と買い手である事業会社のそれぞれが留意すべき事項を、経済産業省が体系的にまとめた文書である。
正式名称は「スタートアップM&Aガイダンス ―スタートアップ・エコシステムの成長・発展並びに新産業の創出に向けて―」。経済産業省が作成し、2026年5月に公表されました(ニュースリリースは5月21日付)。本文は115ページです。
売り手側には、経営の早期からIPOとM&Aの双方を見据えるデュアルトラック経営が推奨されています。買い手側については、第4章「買い手へのガイダンス(1) ―経営戦略としてスタートアップM&Aを捉える―」および第5章で、体制・枠組み・探索の観点から論点が整理されています。
章立てについての注意
経済産業省のニュースリリースでは全6章として説明されていますが、PDF本体の目次は第4章・第5章が買い手向け、第6章がM&A実施時の留意点、第7章がケーススタディという全7章構成になっています。引用の際はPDF本体の章立てに合わせるのが安全です。
買い手へのガイダンスに挙げられた4つの論点
ガイダンス冒頭のエグゼクティブ・サマリー(p.3)の買い手へのガイダンス欄には、次の4項目が並んでいます。
- Corporate Development部署の設置
- 意思決定プロセス
- 予算策定
- インセンティブ設計
このうちCorporate Development部署については、次のように記されています。
Corporate Development部署の設置
・部・経営陣・取締役会の意向を束ね、実行を司る部門として設置経済産業省「スタートアップM&Aガイダンス」(2026年5月)p.3
短い記述ですが、役割の定義として意向を束ねる点と、実行を司る点の2つが示されています。部門、経営陣、取締役会の三者はM&Aに対して異なる期待と懸念を持つため、調整を経ずに案件を進めると最終局面で合意が崩れます。また企画や検討ではなく、実行に責任を持つ部門として位置づけられています。
専門部門に求められる機能
経済産業省が同ガイダンスを要約した資料では、この専門部門が備えるべき機能がより具体的に示されています。
「スタートアップM&Aが持つ特有の性質を理解し、意思決定・予算策定等について既存事業とは異なる枠組みや、M&A推進の専門部門を構築することが有用。」
「M&A推進の専門部門には、主に新規ドメイン・戦略策定、ソーシング、PMI、バリュエーション、IR・リスクマネジメント等の機能を一気通貫で実装することが有効。」内閣官房 第4回スタートアップ政策推進分科会 資料2「東証グロース市場の在り方、M&Aガイダンス」(経済産業省、2026年5月20日)p.2
注目したいのは一気通貫で実装するという表現です。戦略策定からPMIまでを別々の部署が分担するのではなく、ひとつの機能として持つべきだと述べています。日本企業でよく見られる、戦略は経営企画、DDは財務と法務、PMIは事業部という分業とは異なる考え方です。
なぜ体制が論点になったのか
ガイダンスは、スタートアップM&Aが日本で活性化していない要因として複数の仮説を提示しています。そのうち買い手に関わるものが、仮説④「買い手側においてM&Aの経験や体制整備が進んでいない」です(pp.9〜10)。
本文では次のように説明されています。
「スタートアップM&Aに必要となる買い手側の意思決定プロセスやインセンティブ設計が十分ではないケースもあり、またスタートアップ特有の事情(ガバナンス、資本政策 等)の知識が不足しているため、案件形成が進みにくくなっている。」
経済産業省「スタートアップM&Aガイダンス」(2026年5月)pp.9〜10
同ページには、ガイダンスに掲載された事業会社へのヒアリングコメントもあります。
「買い手側に、スタートアップM&Aをうまく進めるための仕組が不足している。スタートアップの価値を正しく評価する方法を持ち、買収後に必要な予算措置も含めて正しくデザインできている事業会社は少ない」
同ガイダンス pp.9〜10 掲載の事業会社ヒアリングコメント
買う意思の有無ではなく、買うための仕組みの不足が問題として整理されています。意思はあり案件も存在するものの、社内のプロセス・評価手法・予算・インセンティブが既存事業向けのまま据え置かれているため、案件が形にならないという構造です。
この見立ては民間調査とも整合します。M&A業務に携わる担当者の88.7%が検討・実行に課題を感じており、最大の課題は「M&A経験や知見、専門人材の不足」で52.7%でした(DIGGLE株式会社調べ、2026年1月、M&A業務従事者62名、課題設問は55名が回答)。
ガイダンスが挙げた機能を実務の工程に置き直す
ガイダンスが示した一気通貫で実装すべき機能を、買い手企業の実務としてどう受け止めればよいか、工程別に整理します。
ガイダンスの機能 | 実務で決めるべきこと | よくある詰まり |
|---|---|---|
新規ドメイン・戦略策定 | どの領域を、なぜM&Aで取りにいくのか。投資基準と撤退基準 | 基準が曖昧なまま、案件の優先順位が毎回変わる |
ソーシング | 候補企業を継続的に発掘する経路。仲介待ちにしない仕組み | 持ち込み案件の対応で手一杯になり、能動的な探索が始まらない |
バリュエーション | 赤字・将来価値ベースの企業をどう評価し、どう社内を通すか | 既存事業と同じDCF・PER基準で評価しようとして議論が止まる |
PMI | 統合の責任者、100日プラン、KPI、キーパーソン維持策 | 買収後は事業部に任せる運用となり責任者が空席になる |
IR・リスクマネジメント | 株主・市場への説明、のれん・減損の管理、法務リスク | 買収の説明責任が事後対応になる |
機能の列(左列)は、内閣官房 第4回スタートアップ政策推進分科会 資料2(経済産業省、2026年5月20日)p.2の記載を基に当社作成。中央・右列は当社の整理です。
この5つが自社の中で誰の責任範囲になっているかを確認するだけでも、体制の欠落は見えてきます。多くの企業では、ソーシングとPMIが誰の担当にもなっていません。いずれも締切がなく、後回しにしても短期的には支障が出ないためです。
各機能の詳細と組み立て方は「M&A組織のつくり方|コーポレートデベロップメントに必要な5つの機能と12ヶ月の工程」で解説しています。
スタートアップM&Aが既存事業のM&Aと違うところ
ガイダンスが既存事業とは異なる枠組みを求めているのは、スタートアップの買収に固有の難しさがあるためです。実務上、社内で議論が止まりやすいのは次の5点です。
1. バリュエーション
赤字であることが珍しくなく、将来の成長前提を織り込んだ評価になります。既存事業の投資判断で使う利益ベースの基準では土俵に乗りません。評価手法と、それを社内で承認するプロセスを、事前に別建てで用意しておく必要があります。
2. ガバナンス・資本政策
種類株式、ストックオプション、投資契約上の各種条項など、スタートアップ特有の資本構成の理解が求められます。ここの知識不足はDDの後半で発覚すると交渉全体を巻き戻します。
3. スピード
売り手側は追加調達、IPO、他社との交渉といった複数の選択肢を並行して持っています。稟議に数ヶ月かかる体制では、検討している間に選択肢から外れます。
4. PMI
買収対象の価値の多くが創業者や技術者といった個人に紐づいています。統合の設計を誤ってキーパーソンが離脱すると、買収の目的自体が失われます。リテンション設計は買収前に決めるべき事項です。
筆者の経験から
モンスターラボ(東証グロース・5255)で海外M&AのビジネスDDを担当していたとき、対象がスタートアップ型の企業である場合にDDで最も時間を割いたのは、財務の検証ではなくキーパーソンが買収後も残り続ける理由を設計できるかの見極めでした。技術も顧客基盤も、それを動かす人が抜ければ価値の大半が失われます。ガイダンスが体制とインセンティブ設計を並記しているのは、人が資産である買収の性質を踏まえたものと読めます。
5. 予算とインセンティブ
買収後に必要な追加投資(人材、開発、統合コスト)を初期の予算に織り込んでいないと、買った直後に投資が止まります。また、担当者や事業部門にM&Aを推進するインセンティブがなければ、そもそも案件が上がってきません。
今日から着手できる3ステップ
- 5機能の責任者を書き出す。新規ドメイン・戦略策定、ソーシング、バリュエーション、PMI、IR・リスクマネジメントの5つについて、現在誰が責任を持っているかを実名で埋めます。空欄が2つ以上あれば、体制の問題は仮説ではなく事実です。
- 投資基準と撤退基準を明文化する。案件が来てから議論すると判断にバイアスがかかります。基準は案件のない平時に決めるものです。
- 意思決定のリードタイムを測る。検討開始から取締役会決議まで実際に何日かかるかを、過去の案件で計測します。相手方が想定するスピードとの乖離は、体制の問題として顕在化します。
よくある質問
Q1. ガイダンスに法的な拘束力はありますか。
A. ありません。望ましいと考えられる事項を体系的に整理した文書であり、義務を課すものではありません。ただし買い手企業の体制について国の資料が明示的に言及したことは、社内で体制整備を提起する際の材料になります。
Q2. Corporate Development部署は必ず新設しなければいけませんか。
A. ガイダンスが求めているのは部署という箱よりも、意向を束ねて実行を司る機能です。既存の経営企画部の中に位置づける形でも、機能と責任が明確であれば成立します。経営会議・取締役会に直接アクセスできるレポートラインを持つことが重要です。
Q3. スタートアップを買う予定がなくても参考になりますか。
A. なります。ガイダンスが挙げた5機能は、スタートアップに限らず買い手企業のM&A体制全般に共通する枠組みです。
Q4. 中堅企業でも同じ体制が必要ですか。
A. 規模に応じて縮尺は変わりますが、機能の種類は変わりません。専任者を置けない場合でも、5つの機能それぞれに責任者を決め、外部リソースで補う設計は可能です。
Q5. ガイダンスの内容を社内資料に引用してもよいですか。
A. 経済産業省のコンテンツはデジタル庁「公共データ利用規約(第1.0版)」に準拠しており、出典を明記すれば複製・翻案・商用利用が可能です(CC BY 4.0と互換)。ただし加工した場合は出典とは別に加工した旨を記載する必要があります。また資料内の図表には第三者が権利を持つものが多数含まれるため、図表をそのまま転載する場合は当該部分の権利表記を個別に確認してください。
Q6. 原典はどこで読めますか。
A. 経済産業省のウェブサイトで公開されています(本記事末尾の出典欄にリンクを記載)。買い手企業の担当者であれば、少なくともエグゼクティブ・サマリー(p.3)と第4章「体制の構築」(4-3、p.63以降)に目を通すことを推奨します。
まとめ
- 経済産業省「スタートアップM&Aガイダンス」(2026年5月)は、買い手企業に対してCorporate Development部署の設置を挙げ、部・経営陣・取締役会の意向を束ね実行を司る部門と定義した
- 専門部門には、新規ドメイン・戦略策定、ソーシング、PMI、バリュエーション、IR・リスクマネジメントの機能を一気通貫で実装することが有効とされている
- 背景には買い手側でM&Aの経験や体制整備が進んでいないという課題認識があり、意思決定プロセス・予算・インセンティブの不足が案件形成を妨げていると整理されている
- 実務としては、5機能の責任者を書き出し、投資・撤退基準を明文化し、意思決定のリードタイムを測る順で着手できる
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この記事の著者
大熊 一慶(おおくま いっけい)|WellBear株式会社 共同代表(Managing Partner)
2011年、株式会社モンスターラボ(現 株式会社モンスターラボホールディングス/東証グロース・5255)入社。海外事業子会社の代表取締役、日本、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアなどで10社超の国内・海外M&Aを遂行した同社の執行役員を兼務。2023年、M&Aサービスを提供するWellBearを共同創業。
出典
- 経済産業省『スタートアップM&Aガイダンス』(2026年5月)https://www.meti.go.jp/policy/newbusiness/houkokusyo/startup_ma_guidance.pdf (2026年7月30日利用)
- 経済産業省ニュースリリース『「スタートアップM&Aガイダンス」を公開しました』(2026年5月21日)https://www.meti.go.jp/press/2026/05/20260521003/20260521003.html (2026年7月30日利用)
- 内閣官房 第4回スタートアップ政策推進分科会 資料2『東証グロース市場の在り方、M&Aガイダンス』(経済産業省、2026年5月20日)https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/startup/dai4/shiryou2.pdf (2026年7月30日利用)
- DIGGLE株式会社調べ『M&Aに対する企業の意識調査』(2026年1月6日発表)https://diggle.jp/news/pressrelease/20260106/
本記事は上記公開資料から確認できた記述に基づいて構成しています。引用部分は原典の表記に従っています。本文中の表および工程の整理は、経済産業省の公表資料を基に当社が作成したものです。
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